斉諧俗談131

斉諧俗談 131

〇宇治石塔[うじのせきとう]

山城の国宇治川の中に石塔あり。その塔は十三重にして、高さは五丈ばかりある。伝承に言う、後宇多院の御代、弘安九年の時、宇治川で魚を捕るのを生業とする者があった。ある時、西大寺の叡尊[えいそん]

 〔割注〕のちに興正菩薩と言う。

が来られて、これを御覧になられ、ねんごろに教誨して殺生をやめさせ、代わりに布を晒すことを教えられた。今、木津川で布を晒す人は、その男の子孫である。叡尊は魚の供養のために石の塔を一基川の中へ建てられた。この石塔、洪水の時でも水没することがなく、人々は浮塔[うきとう]と呼んだという。


[語釈]

叡尊(興正菩薩) 鎌倉時代中期の真言律宗の僧。字は思円。謚号は興正菩薩。興福寺の学僧・慶玄の子で、大和国添上郡箕田里の生まれ。廃れかけていた戒律を復興し、衰退していた勝宝山西大寺を再興したことで知られる。

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