斉諧俗談129
〇黄耳塚[こうじづか]
述異記に言う、西晋(せいしん)の陸機[りくき]という人が呉の国にいたが、のちに都の洛陽に仕えた。かつて優れた犬を飼っていた。名を黄耳[こうじ]と言った。ある時、戯れに犬に向かって「我が実家から久しく音信がない。お前、今から走って見てきてくれないか」と言った。犬は尾を振り、ワンワン吠えて、承知したという態度をとった。そこで陸機は書状をしたためて竹の筒に入れ、犬の首にかけた。犬は走り出して呉の国へと向かった。道すがら、腹が減ったら路傍の草を喰い、川を渡る時は渡し守に頼んで乗船させてもらい、無事、陸機の実家にたどり着いた。家の者が書状を読み、返事を竹筒に入れると、犬は再びもと来た道を引き返した。洛に着いた犬は、その後死んでしまった。陸機は犬を手厚く葬って塚を築き、黄耳塚と名付けたという。
[語釈]
陸機 261~303 中国、西晋の文学者。呉郡呉県(江蘇省)の人。字(あざな)は士衡(しこう)。呉の滅亡後、洛陽に入ったが、八王の乱に巻き込まれて殺された。対句の多用と華麗な表現で、詩・賦に佳作を残した。「文賦(ぶんのふ)」は賦の様式による文学論として異色。
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