斉諧俗談127

斉諧俗談 127

〇濡衣女墓[ぬれぎぬめのはか]

筑前の国博多の東に、濡衣女[ぬれぎぬめ]の墓というのがある。伝承に言う、聖武天皇の御代、佐野近世[さののちかよ]という者がいた。筑前守に任ぜられて当国に赴任した。ところが、その妻は継子をとてもうとましく思っていた。ある朝、一人の海人が来てわめいて言った。「この屋敷の娘が私の漁衣[すなどり]を盗んだ。早く返してくだされ」近世は短慮な性格で、それを鵜呑みにして怒り、娘を殺してしまった。実は、継母が海人と謀ったことだった。その翌年、娘が父の枕元に現れ、二首の和歌を詠んだ。

   脱着[ぬぎきせ]るそのたばかりの濡衣は永きなき名のためしなりけり

   濡衣の袖より伝う泪(なみだ)こそなき名をのこすためしなりけり

そこで近世は目が覚め、大いに泣き悲しみ、妻を追い出して、自身は出家して松浦山[まつらさん]にこもった。世に松浦上人[まつらしょうにん]と言うのはこの人のことである。かの娘の墓は、初めは聖福寺の西の門の側にあったが、今は箱崎松原の西、博多の東石塔村[ひがしせきとうむら]の小さな池の中にあるという。


[解説]無実の罪を着せられる「濡衣」の語源とされている伝承。今も博多に「濡衣塚」があります。娘の名は春姫というそうです。

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