斉諧俗談110
斉諧俗談 110
〇童謡[どうよう]
日本書紀に言う、崇神天皇の十年、大彦命を初めて将軍とさせられ、山背(やましろ)の平坂という所へ向かわせられた時、道の傍らに一人の童女がいて歌って言うには、「みまきいりひこはや、はのかうを、しせむと、のすまくしらに、ひめなそねすも」
〔割注〕御間城入彦(みまきいりひこ)は、崇神天皇の御諱である。
大彦命はこれを怪しみ、その童女に聞いた。
「それはなんの歌かね」
童女が答えた。
「聞かないで。ただの歌よ」
そう言うと、また歌い出し、そのまま姿が見えなくなった。この歌こそ武埴安彦[たけはにやすひこ]の謀叛の前触れであるということだ。
[語釈]
武埴安彦命 孝元天皇の皇子とされる伝承上の人物。母は河内青玉繫の女の埴安媛。《日本書紀》崇神紀10年9月条によれば,山背にあって妻の吾田媛(あたひめ)と謀反をはかるが,事あらわれて吾田媛は崇神天皇の派遣した五十狭芹彦(いさせりびこ)の軍に敗れ,武埴安彦は和珥臣(わにのおみ)の遠祖の彦国葺(ひこくにぶく)に射殺されたという。なお《古事記》孝元天皇段には建波邇夜須毗古命,崇神天皇段には建波邇安王とみえる。(世界大百科事典 第2版)
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