斉諧俗談109
斉諧俗談 109
〇鳴門太鼓[なるとのたいこ]
阿波の国鳴門は、海上一の難所である。伝承に言う、後光厳院の御代、康安元年の夏から秋にかけて大地震があり、七月二十四日ににわかに潮が引いて陸となった。この時、鳴門の岩の上に周囲二十尋(ひろ)もある太鼓が現れた。胴は石で、面は水牛の皮、巴の紋が描かれ、銀の鋲が打ってあった。これを見た人々は大いに怪しみ驚いた。試しに大きな撞木[しゅもく]で叩いたところ、鐘を撞くような音が鳴った。とても大きな音が天まで響き、山が崩れ海水が湧き出て、人々はみな逃げ去った。太鼓がどうなったか、その後行方知れずということだ。またある書物に言う、いつの頃だったか、鳴門から大きな音がして、雷鳴のような音が近くの国々にまで響き渡った。このため都で諸々の公卿らが評議をし、小野小町に勅諚があり、小町は淡路に下向して鳴門に行き、そこで一首の和歌を詠んだ。
ゑのこ穂がおのれと種を蒔置て粟のなるとは誰か云らん
小町がこの歌を詠むと、たちまち鳴動がやんだ。淡路の国の行者[ぎょうじゃ]が崖下の海辺に小町岩といって、上が平らな岩が海上を望むようにあったが、この岩の上で小町歌を詠み、水神を祭ったという。
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