斉諧俗談75

斉諧俗談 75

〇粛慎隈[あしはせのくま]

日本書紀に言う、欽明天皇の五年十二月に、佐渡の国島の北の御名部の崎[みなべのさき]という所へ、粛慎人が来て船を乗っ取って春夏の間、捕魚[すなどり]をして食べていた。島の人たちは、「これは人ではない、鬼だ」と恐がって近づくこともできなかった。また島の東に禹武[うぶ]という村があり、村人は椎の実を拾い、焼いて食うために実を灰の中に埋めて皮をあぶったところ、たちまち二人の人となり、火の上を一尺ばかり飛びあがると、二人は闘い始めた。村人は深く怪しみ、椎の実を放り捨てたが、また二人は飛び上がり闘い始めた。この様子をある人が占ったところ、「この村の人たちは、必ず鬼のために惑わされることになるだろう」と言った。果たして、それからほどなくして村が鬼に掠奪されてしまった。このため粛慎の人たちは瀬川の浦という所へ移った。浦の神は大変に人を嫌い、近づくこともしなかった。このため、のどが渇いて水を飲んだとたん死んでしまう者が半数にも上った。死んだ人の骨が聳え立つ岩のように積まれたほど。これを俗に粛慎の隈と呼ぶという。

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