斉諧俗談54
斉諧俗談 54
〇大声人[おおこえのひと]
東鑑(あずまかがみ=吾妻鏡)に言う、足利又太郎忠綱は、前歯の長さが一寸あり、その声は十里先まで響くと。またある説によると、田原又太郎忠綱は
〔割注〕また足利ともいう。
田原藤太(たわらのとうた)より八代の子孫の俊綱の子で、下野(しもつけ)の国の人であった。その身に三つの変わったことがあり、力は百人力、声は十里先まで聞こえ、歯は一寸ほどの長さがあった、という。また徒然草に言う、元良親王は元日の奏賀の声が太極殿から鳥羽の作道まで聞こえ、その距離は十余里ある、と。
[解説]藤原秀郷(ひでさと)は平安前期の鎮守府将軍。下野押領使(しもつけおうりょうし)のときに、平貞盛(さだもり)と協力して平将門(まさかど)の乱(935~940)に将門を倒し東国を平定したことで有名。俵藤太としてさまざまな伝説があり、特に三上(みかみ)山の百足(むかで)退治のことは『俵藤太物語』という作品にまでなっています。その子孫という足利忠綱もとてつもない大声を発したり、前歯が三寸もあったなどといった伝説があります。
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