斉諧俗談50

斉諧俗談 50

〇伏見翁[ふしみのおきな]

昔、伏見翁という者がいた。どこの出身の人かは分からない。

 〔割注〕ある人が言う、天竺より来た、と。

大和の国菅原寺の横で寝て、三年そのままで起きることがなかった。しゃべることもしなかった。人々は皆、唖(おし)だろうと言った。時々、首を上げて東の方を見た。天平八年、行基法師が婆羅門(ばらもん)僧正を迎えて菅原寺に帰り、饗応の席を設けて二人はともに楽しみ、箸を取って拍子を取りながら二人の僧は互いに舞遊んだ。その時、門前にいた翁が急に立ち上がると寺に入り、舞いながら唄って言うには、「時なるかな時なるかな、縁熟せるかな」と。三人は共に舞いながら遊んだ。長く唖のようにしていたのは、この歌を唄うためであった。時々頭を上げて東方を見たのは、東大寺の伽藍を見るためだった。これにより、翁が伏していた所にちなみ、臥見(ふしみ)の岡と名付けたということだ。この事は、本朝列仙伝および和漢三才図会に見えている。

過去の出来事

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