斉諧俗談43
斉諧俗談 43
(承前)
新編鎌倉志に言う、円鑑一面、厨子(ずし)に入れて西来庵(せいらいあん)にある。高さ三寸五分、横三寸あり。鏡の面に観音の半身の像があり、手に団扇を持ち、少しうつむき加減である。頭に天冠[てんかん]をいただき、瓔珞(ようらく)を垂らしている。珠を貫く糸はなく、目に瞳を入れてない。鏡の後ろは水中に三日月の影が描かれ、高さは半分ほど。上に梅の枝がある。これらはすべて鋳型である。鏡の形は鼎(かなえ)のようで寰(かん)があるという。また尾張の国名護屋に、七宝山聖徳寺という寺がある。この寺の什物にも鏡が一面あり、親鸞上人所有の鏡である。直径は五寸ばかりあり、異朝から到来したものである。親鸞上人は常に手に触れたことから、ついに上人の面貌がかすかに写り、今もその状態である。のちに試しにこれを磨いてみたが、姿は消えることがないという。
[語釈]
瓔珞 宝石などを連ねて編み、仏像の頭・首・胸などにかけた飾り。
鼎 音読みはテイ。一般には「かなえ」と訓読みしている。中国古代に使用された肉を煮る礼器。3足ないし4足 (方鼎) で,青銅製と陶製のものがある。礼器としての鼎の出現は殷代に入ってからである。殷・周時代に広く用いられ,漢代にも知られるが,隋・唐以後はみられなくなる。
奈良国立博物館蔵
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