斉諧俗談36

斉諧俗談 36

〇役小角縛神[えんのしょうかくかみをしばる]

役の小角は大和の国葛上郡(かつらぎこおり)ウ原村[うはらむら(ウは草冠に卯)]の人で、舒明天皇の五年正月朔日に生まれた。若くして聡明で博学であった。三十二歳の時、家を捨てて葛城山に入り、ここに居ること三十年余、藤葛を衣とし、松の実を食べ、常に孔雀明王の呪文を唱えた。雲に乗って遊行し、鬼神を使者として走らせた。ある時、山神に告げて言った。「葛城山の嶺より金峯山[きんぶせん]に行くのに、途中危険な箇所がある。汝ら、石橋を架けて道を作れ」と。もろもろの神は命を受けて、夜毎に岩石を運んで橋を造った。小角は叱って言った、「どうして早くできないのか」神の一人が答えた、「葛城の峯の一言主の神は姿がとても醜く、昼に出て働くことができず、そのため夜しかできません。そのため遅くなりました」小角は一言主を呼んだが、一言主は拒否した。小角は怒り、一言主を呪縛して深い谷底に繋いでしまったという。


[語釈]

役小角 一般には「えんのおづぬ」と読んでいる。以下、ブリタニカ国際大百科事典より「奈良時代の山岳呪術者。役行者,役の優婆塞ともいわれる。寛政 11 (1799) 年に修験道の開祖と仰がれ,神変大菩薩の勅諡号を受けた。大和国南葛城郡茅原に生れ,32歳のとき葛城山に登り,孔雀明王の像を岩窟に安置して草衣木食し,持呪観法して不思議の験術を得たといわれる。また諸山岳を踏破し,大和の金峯山,大峰山などを開いて修行したが,彼の呪術は世間の人を惑わすものであるとされ伊豆に流された。のち許されて京に帰ったが以後の消息は不明。山岳信仰と密教とが合流するようになって修験者の理想像とされ,平安時代以降一般の信仰を受け,その足跡を伝える説話は全国の霊山幽谷の地にできあがった。」

過去の出来事

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