斉諧俗談35
斉諧俗談 35
〇弘智法印枯骸[こうちほういんのこがい]
越後の国三島郡野積村[のつみむら]に、海雲山養知院という真言宗の寺がある。この寺に弘智法印の枯骸がある。言い伝えによると、弘智法印は小玉氏で、下総の国桑村の人である。かつて高野山に登り、密教を学んだ。後に当国の大浦蓮華寺に住んだ。貞治二年癸卯の年十月二日、岩の上で入寂した。その形は、合掌したままで肉体は腐っていなかった。辞世がある。
いわ坂の主は誰ぞと人問わば墨絵に書し松風の音
ある人が試しに鎗の石突であばら骨を突いたが、それより少し傾いたということだ。
[解説]長岡市野積(のづみ)にある西生寺(さいしょうじ)にある、日本最古といわれる「弘智法印即身仏」にまつわる話。現在安置してあるのは木製のレプリカということです。
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