斉諧俗談25

斉諧俗談 25

〇池社[いけのやしろ]

遠江の国笠原庄[かさはらのそう]桜村[さくらむら]に、池の社という二つの池がある。男池、女池[めいけ]といい、周囲が五里ばかりの池である。桜が池ともいう。池の社は牛頭天王(ごずてんのう)を祀る。毎年八月彼岸の中日の午(うま)の刻に、半切桶[はんぎりおけ]に赤飯を盛り、水練の達者な者がこれを押して行く。池の真ん中と思われる所で押し放し、そのまま泳いで対岸に行く。その時、池の水が渦を巻き、飯を持った器が水底に沈む。飯の器は数は決まっておらず、願望に従い三つ七つ、あるいは五つ、年ごとに増減がある。この事は、米山翁の里人談にも見えている。言い伝えによると、往昔[むかし]、当国の国主が京都より初めて入国の時、側室と共にこの池のほとりで遊興した。

 [割註]側室の名を桜の前と言う。国主の姓名は不明。

その時、にわかに逆立つ波が湧きたつや、かの側室を池に引きずりこみ、そのまま側室の行方は分からない。国主は激怒し、国中の芝薪を集めて数万の石を熱して池の中へ投げ入れること七日七晩、池の水が黒色に変わり、更に青色になり、しまいには血の色となって湧き上がり、一匹の毒蛇の死体が浮かび上がった。その形たるや、頭は牛のようで、背には黒いうろこがあり、白い角を生やし、見る者ことごとく恐れおののいたという。また、肥後の阿闍梨皇円(こうえん)という僧の霊魂が、この池に入るということだ。


[語釈]

笠原庄 笠原村。静岡県の西部、城東郡・小笠郡に属していた村で、現在の掛川市・袋井市の南部にまたがって所在した。

牛頭天王 インドの祇園精舎の守護神。祇園天王,武塔天神,天王ともいう。スサノオノミコトの本地仏と説かれ,除疫神として,京都八坂神社,愛知津島神社に祀られる。

半切桶 はんぎりおけ。半切とも。物料を入れたり、道具を洗うなどいろいろな用途に使う平たい桶をいう。容量は140~360リットルが普通である。

米山翁の里人談 菊岡沾凉著「諸国里人談」。菊岡沾凉(きくおか せんりょう、延宝8年(1680年)7月 - 延享4年10月24日(1747年11月26日))は江戸時代中期の俳人、作家。諱は房行、通称は藤右衛門、別号に崔下庵、南仙、米山など。祖父伝来の婦人薬「女宝丹」、二日酔い薬「清酲散」を販売して生計を立てる傍ら、内藤露沾門下で俳諧を学び、江戸座で精力的に俳諧活動を行った。しかし、露沾の死後俳壇で孤立し、後世にはむしろ『江戸砂子』等の地誌、説話集の著者として名が知られる。

阿闍梨 あじゃり。天台宗・真言宗の僧の位。「あざり」とも。

皇円 平安時代後期の天台宗の僧侶。 正字では皇圓。 熊本県玉名の出身で肥後阿闍梨とも呼ばれ、浄土宗の開祖法然の師でもある。

過去の出来事

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