1941年2月14日
1941年2月14日 昭和16年
【内 閣】
第2次近衞文麿内閣
総理 近衛文麿/外務 松岡洋右/内務 平沼騏一郎/大蔵 河田烈/陸軍 東條英機/海軍 及川古志郎/司法 柳川平助/文部 橋田邦彦/農林 石黒忠篤/商工 小林一三/逓信 村田省蔵/鉄道 小川郷太郎/拓務 秋田清/厚生 金光庸夫/国務 星野直樹
企画院総裁 星野直樹/次長 小畑忠良
内閣書記官長 富田健治/法制局長官 村瀬直養
【宮中主要官】
内大臣 木戸幸一/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 原嘉道/枢密院副議長 鈴木貫太郎
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 塚田攻/教育総監 山田乙三
[海 軍]
海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭
【植民地高官】
朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介
【東 京】
府知事 岡田周造/市長 大久保留次郎
日本海軍の給糧艦「伊良湖」が進水。
建造所 川崎重工業艦船工場/運用者 大日本帝国海軍/艦種 運送艦(給糧艦) /母港 佐世保
計画 マル3計画/起工 1940年5月30日/進水 1941年2月14日/竣工 1941年12月5日/最期 1944年9月24日大破放棄/除籍 1945年11月30日
要目(1938年計画時):基準排水量 9,570英トン、公試排水量 11,100トン、満載排水量 12,001.6トン/全長 152.00m/水線長 145.10m/垂線間長 143.50m/最大幅 19.00m/深さ 12.264m/吃水 公試平均 6.05m、満載平均 6.46m/ボイラー 艦本式ロ号混焼缶6基/主機 艦本式タービン(二重減速装置付)2基/推進 2軸/出力 8,300shp/速力 17.5ノット/燃料 重油520トン、石炭1,670トン/航続距離 6,600カイリ/ 14ノット/乗員 計画乗員 426名(傭人49名を含む)または361名(傭人76名を含む)/竣工時定員 299名
兵装:45口径12cm連装高角砲 2基、25mm機銃 連装2基、25mm機銃 3連装3基(1944年増設)
搭載艇:9隻(内 12m糧食配給艇3隻 12m真水配給艇1隻、他)もしくは8隻
その他:25,000人に14日分の食料補給として898トン、補給用真水1,000トン
1940年(昭和15年)5月30日に起工。1941年(昭和16年)2月5日伊良湖と命名、特務艦中の運送艦に登載され、本籍を佐世保鎮守府と仮定。2月14日、進水。9月2日、艤装員事務所を神戸市川崎重工業内に設置。12月5日に竣工。同日附で本籍を佐世保鎮守府と定められ、連合艦隊へ編入された。12月24日、宇垣纏連合艦隊参謀長は戦艦大和を視察したのち、伊良湖を訪問した。艤装上の不満を訴える特務艦長に対し、宇垣は伊良湖の充実した野菜倉庫や、優秀な菓子類製造能力を誉めている。同時に速力18ノット発揮可能という点にも注目し、対潜の観点から『海軍の特務艦は今後二十節を出し得る事絶對的なり。徴用船舶も亦然るを要す。茲に於て平素より優速船の建造奨励に関し一段の努力必要なりと認む』と述べた。1942年(昭和17年)1月、呉を出港し、トラック諸島、ルオット方面へ糧食補給を行う。2月から5月にかけてダバオ、セレベス島スターリング湾方面の艦船に対する糧食補給、マカッサルへの輸送に従事。8月からは呉とトラック間の輸送に13回従事した。1943年(昭和18年)8月1日、伊良湖は駆逐艦天津風、浦風と共に呉へ到着したが、その際に4月のカビエン空襲で大破した重巡洋艦青葉も同行していた。1943年(昭和18年)12月7日、伊良湖と靖国丸は航空母艦千歳、第16駆逐隊の2隻(天津風、雪風)に護衛されてトラック泊地を出発。14日、横須賀へ帰投した。1944年(昭和19年)1月3日、伊良湖は第27駆逐隊2隻(時雨、春雨)に護衛されて横須賀を出港、11日にトラック泊地へ到着する。 1月20日、トラック北方でアメリカ潜水艦シードラゴン(USS Seadragon, SS-194)の雷撃を受け損傷し浸水したため、駆逐艦涼風が現場へ急行。だが涼風による曳航は曳航ロープが切断し失敗した。浸水が進む中、増援の要請に対し重巡洋艦鳥海、駆逐艦潮等も救援に駆けつけ、伊良湖はなんとか沈没を免れた。2月14日、伊良湖は水上機母艦能登呂、海軍徴傭船辰浦丸、陸軍徴傭船日美丸の4隻で第4213船団を編成し、3隻(隠岐、満珠、第31号駆潜艇)の護衛を受けてトラックを出港し内地へ向かった。伊良湖は内地に帰投後、横浜、佐世保において修理を実施した。7月5日、南西方面艦隊付属に編入された。8月に修理を終えマニラへ出港。9月21日、マニラで空襲を受けコロン湾に退避した。同日、駆逐艦皐月が空襲を受け沈没、伊良湖は他艦と協力して生存者を救助した。9月24日、コロン湾で水上機母艦秋津洲と共にアメリカ機動部隊艦上機の攻撃を受け、大破着底し放棄された。翌年11月30日に除籍となった。現在はダイビングスポットになっている。
特務艦長
伊良湖艦型図艤装員長
1.辻榮作 大佐:1941年8月11日 - 1941年12月5日
特務艦長
1.辻榮作 大佐:1941年12月5日 - 1942年4月10日
2.富澤不二彦 大佐:1942年4月10日 - 1943年3月15日
3.岡野慶三郎 大佐:1943年3月15日 - 1943年9月19日
4.宮本八十三 大佐:1943年9月19日 - 1944年11月10日
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