斉諧俗談7

斉諧俗談 7

〇非常雷[ひじょうのらい]

日本書紀に言う、「舒明天皇の十一年正月十二日、天に雲がないのに大きな雷鳴が轟いた」と。

太平御覧[たいへいぎょらん]に言う、「秦の二世皇帝の元年、天に雲がないのに大きな雷鳴が轟いた。雷は陽であり、雲は陰である。これは今の君臣の関係を表しており、今の君主は人を愛さないため、人臣は離反し、背かんとしているのである」と。


[語釈]●太平御覧 中国宋代初期に成立した類書の一つ。千巻。同時期に編纂された『太平広記』、『冊府元亀(さっぷげんき)』、『文苑英華(ぶんえんえいが)』と合わせて四大書と称される。李昉、徐鉉ら14人による奉勅撰(ほうちょくせん=皇帝の命により編纂)であり、977年から983年頃に成立した。ある語彙にたいして、その用例がさまざまな古書から引いており、ちょっとした索引であるが、ただ篇名が記されている程度であり、該当箇所がすぐ引けるわけではない。が、当時にあっては画期的なものであり、さらに現在滅びた書物からの引用も多いため、断片的とはいえ内容を知る手がかりとなる。 ●秦の二世皇帝 始皇帝の子。名は胡亥(こがい)。在位前 210~207。始皇帝の死後,丞相の李斯(りし)と宦官の趙高が,太子扶蘇(ふそ)と将軍蒙恬 (もうてん) をにせの詔勅で殺し擁立。才能がなく失政を続けたため,各地に反乱が起り,趙高に殺された。権勢を極めても栄華は続かず、凡庸な世襲は国を傾ける例としてよく引き合いに出される一人。

過去の出来事

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