1899年1月21日
1899年1月21日 明治32年
【内 閣】
第2次山縣有朋内閣
総理 山縣有朋/外務 青木周蔵/内務 西郷従道/大蔵 松方正義/陸軍 桂太郎/海軍 山本権兵衛/司法 清浦奎吾/文部 樺山資紀/農商務 曾禰荒助/逓信 芳川顕正
内閣書記官長 安広伴一郎/法制局長官 平田東助
【元 老】
黒田清隆 伊藤博文 山県有朋
【東 京】
府知事 岡部長職/東京市長 松田秀雄
大師電気鉄道・六郷橋~大師(現在の川崎大師)(現在の京浜急行電鉄大師線)が開業。資本金9万8000円、立川勇次郎を代表者とし、所有車両5両、営業路線は約2kmの単線、職員は事務部4人、運転部8人、機械部4人、路線部1人の計17人。この日は川崎大師(平間寺)の縁日に当たる。
川崎大師への参詣路線として建設され、1899年に開業した。営業運転を行う鉄道としては日本で初めて標準軌を採用し、また電車による運行は関東で初めてのものである。人力車組合の反対で遅れていた現在の京急川崎駅への乗り入れも3年後の1902年に果たした。なお、大師駅から先、総持寺駅(京急本線の京急鶴見駅 - 花月園前駅間にあった駅)まで当初京浜電気鉄道(当時)自ら建設する予定であったが、別会社で建設されることになり、子会社の海岸電気軌道の手で1926年10月16日に大師 - 総持寺間が全通した。海岸電気軌道は鶴見臨港鉄道(現・JR鶴見線)に買収された上に1937年12月1日に廃止となった。海岸電気軌道線の大師 - 大師河原間は現在の川崎大師駅 - 産業道路駅間とほぼ一致しているが、産業道路駅からは産業道路に並行して総持寺へ向かっていた。同駅の手前から産業道路横浜方面へ伸びる細い道が海岸電気軌道線の跡である。同線の開通以降川崎大師へは毎年各地からの参詣客で大いに賑わうこととなり、それまで初詣といえば地元の神社仏閣へ参拝するのが習慣であったものを、各地の有名社寺まで電車に乗って初詣をするという習慣に変えた歴史的にも意義のある路線である。開業後、会社の予想を大幅に超える収益を上げたことから京浜間に路線網を拡大する基礎を築くとともに、各地の電気軌道計画に影響を与えることとなった。
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