1941年1月16日
1941年1月16日 昭和16年
【内 閣】
第2次近衞文麿内閣
総理 近衛文麿/外務 松岡洋右/内務 平沼騏一郎/大蔵 河田烈/陸軍 東條英機/海軍 及川古志郎/司法 柳川平助/文部 橋田邦彦/農林 石黒忠篤/商工 小林一三/逓信 村田省蔵/鉄道 小川郷太郎/拓務 秋田清/厚生 金光庸夫/国務 星野直樹
企画院総裁 星野直樹/次長 小畑忠良
内閣書記官長 富田健治
法制局長官 村瀬直養
【宮中主要官】
内大臣 木戸幸一/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 原嘉道/枢密院副議長 鈴木貫太郎
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 塚田攻/教育総監 山田乙三
[海 軍]
海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭
【植民地高官】
朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介
【東 京】
府知事 岡田周造/市長 大久保留次郎
大日本聯合青年団・大日本聯合女子青年団・大日本少年団聯盟・帝国少年団協会を統合して大日本青少年団設立。
太平洋戦争直前の1941年1月16日に大日本連合青年団,大日本連合女子青年団,大日本少年団連盟,帝国少年団協会の4団体を統合して結成され,文部大臣の統轄下におかれた団体。それまで四つの団体が,一応国家とは一線を画し,独自の活動を行っていたのに対し,大日本青少年団は一貫して国家の強い指導の下に置かれ,新体制への即応,国家統制の強化が唱えられた。すなわち,団長には文部大臣が,地方団の団長には地方長官が,単位団長も原則として青年学校長,小学校長がそれぞれ就任し,全国の青少年(国民学校初等科3年から25歳まで)が国家のもとに統制された。
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