政談453

【荻生徂徠『政談』】453

(承前) 春斎はその当時、上野の下屋敷(しもやしき)に居住していた。屋敷内に学寮を作り、弟子が三十人ほどいた。五科・十等(じっとう)というものを設けて教えた。五科とは経学科・読書科・詩科・文科・和学科である。これは人々に学問の得意・不得意があるため、およそ五つの科に分けて学問をさせるのである。十等とは十段階の階級を立てて、五科それぞれ学問の進み具合に応じて進級させることで褒美とし、公儀より下付された九十人扶持を分けて、階級に応じて一人半から七人半扶持までを弟子たちに支給する。これにより意欲も出るし、苦学する者の助成にもなる。現在まで、世間の学問の方法は旧態依然としているが、道春以来の伝統を失っていないのはよいことである。


[語釈]●九十人扶持 戦国時代、家臣に米を給することを扶持と呼んでいたが,江戸時代に入って制度的に整い,武士1人1日の標準生計費用を米5合と算定して,1ヵ月に1斗5升,1年間に1石8斗,俵に直して米5俵を支給することを一人(いちにん)扶持と呼び,扶持米支給の単位とした。寛文4年(1664)、幕府は『本朝通鑑』(ほんちょうつがん=我が国の通史)編纂のため国史館を上野忍岡(しのぶおか)の林家の屋敷に設置、経費として九十人扶持を支給した。寛文10年に完成したあとは書生教育費として引き続き給付された。しかも、学生に給与のごとく渡されたのだから、これは励みになる。

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