1926年1月7日

1926年1月7日 大正15年

【内 閣】

加藤高明改造内閣

総理 加藤高明/外務 幣原喜重郎/内務 若槻礼次郎/大蔵 濱口雄幸/陸軍 宇垣一成/海軍 財部彪/司法 江木翼/文部 岡田良平/農林 早速整爾/商工 片岡直温 /逓信 安達謙藏/鉄道 仙石貢/内閣書記官長 江木翼/法制局長官 塚本清治

【元 老】

西園寺公望

【宮中主要官】

内大臣 平田東助/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 浜尾新/枢密院副議長 一木喜徳郎

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 白川義則/軍務局長 畑英太郎/参謀総長 河合操/参謀次長 武藤信義/教育総監 大庭二郎

[海 軍]

海軍次官 岡田啓介/軍令部総長 山下源太郎

【植民地高官】

朝鮮総督 斎藤実/台湾総督 内田嘉吉/関東長官 児玉秀雄/樺太庁長官 永井金次部/南洋庁長官 横田郷助

【東 京】

府知事 宇佐美勝夫/市長 中村是公


小説家協会と劇作家協会が合併して文藝家協会(現在の日本文藝家協会)を設立。

劇作家協会と小説家協会が合併して発足。初代会長は菊池寛。1942年(昭和17年)に一度解散して日本文学報国会に吸収されたが、1946年(昭和21年)に再発足した。1948年(昭和23年)から理事長制をとり、会長・理事長の二本立てになったが、1984年(昭和59年)以降、会長職は廃止された。1990年(平成2年)、永山則夫連続射殺事件の犯人、永山則夫の入会拒否問題をめぐる対立をきっかけに、柄谷行人、中上健次、筒井康隆、井口時男らが抗議のため脱会した。文芸家の職能を擁護確立する目的をもって設立されており、政治的主張は基本的には行わず、もっぱら文芸家の地位向上、言論の自由の擁護、文芸家の収入・生活の安定などを活動の主軸としている。このため、文芸美術国民健康保険組合の加盟団体であったり、静岡県の冨士霊園内に共同墓「文學者之墓」を所有するなど、文学者の生活向上を主眼とした、あまり衆目に触れない活動も多い。上記の立場から、著作権問題については保護期間の延長を、再販売価格維持制度についてはその維持を訴えることが多い。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。