政談434

【荻生徂徠『政談』】434

(承前) 文王は政治を行うにあたり、鰥寡孤独の四者の救済を第一にされたという。また、文王は老人をいたわり養生に尽くしたとも。これらはお上において心がけたとしても、心がけすぎるということはない。御役人らはこういった故実に暗いため、第一になすべきことをせず、三つ子を生んだ者に米銭を与えるといった世も末のひどいやり方を行うなど、とんでもないことである。


[語釈]●文王は~四者 『孟子』 「梁恵王下」に「文王政(まつりごと)を発し仁を施すに、必ず斯の四者(鰥寡孤独)を先にす」とある。 ●文王は老人をいたわり 『孟子』 「離婁(りろう)上」「尽心下」にそれぞれ伯夷・太公望の言葉として出ている。 ●三つ子を生んだ者に米銭を与える 幕府は元禄13(1703)年と宝永4(1707)年に、江戸で三つ子を生んだ家に銭50貫文ずつ支給した。一文銭をひもに一千枚通したものを一貫文と言い、千文が一貫となる。一貫文は現代で約11,520円。この50倍を与えた。


解説]現与党議員で3人以上子どもを生んだ夫婦、家庭に対して表彰すべき、あるいは3人以上生まない夫婦、女性に対して悪しざまに言う動きがみられるが、江戸時代には三つ子を生んだ夫婦に対して褒賞するということを二度行った。昔は子だくさんが当たり前だったから、子どもが三人いるぐらいでは大したことにはならないが、三つ子ともなればなかなか出産を無事に果たすことも難しかったから、無事な出産は慶事ではあった。しかし、徂徠は行政の姿勢としては、出産よりも大勢いる一人者の救済にこそ力を入れるべきであるとし、多産の奨励は「衰世」(=原文)のやり方であると批判した。戦乱の世になると人もまた武器同様消耗品扱いされるので多産が奨励される。また、平時であっても人を資本を生み出す機械としか見ない者にとっては、多産を評価し、奨励する。年金制度など、後の世代によって支えられるものについては子だくさんのほうがよいとしても、際限なく人口が増え続けるのは限りある土地、食糧の点からも望ましいことではない。それよりも、生まれた人が健康で幸福な状態が寿命まで続けられるようにするのが行政であり、常に一定数の人口が維持されれば子だくさんを奨励する必要はない。鰥寡孤独を行政が突き放す世になると、暗く息苦しい世の中となり、子どもを生むための前提である結婚もできなくなるし、しても子を産もうという気にならなくなる。行政というのは、情が通っているか冷酷冷淡かの二者しかないし、この違いによる社会や人心に与える影響は計り知れない。学者である以上に政治家でもあった徂徠にはこれがわかっていた。徂徠だけではない。政治家となる者、志す者なら当然、このような思いを致すもの。しかし、残念ながら現政権にはまったく情がなく、特定の方向に向き、特定の者だけを富まし恩恵を与えることをやり続けている。先人たちの後世に対する希望や願い、信頼をことごとく踏みにじり、冷笑している状態だ。(この項以上)

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