政談432
【荻生徂徠『政談』】432
●鰥寡孤独の事
鰥寡孤独(かんかこどく)の人には公儀から御扶持の援助をすべきである。これはつまり七十歳にもなって誰も面倒を見てくれる人がない状況を言う。田舎では二、三百石の規模の村でもせいぜい一、二人程度しかいないが、江戸では各地から人が集まってくるために、一人者が多くいる。本書の一巻めに述べたように、地方から来た人はことごとく元の土地に帰し、それ以外の人を江戸の人と定めて、この範囲ならば一人者もさほど多くはないはずである。九十・百歳、それ以上の人には、一年に一度、家康公の生誕・忌日の日などに祝いの餅を一重ねも給われば、養老の礼にも叶うことである。
[語釈]●鰥寡孤独 鰥は妻のいない男、寡は夫のいない女性、孤はみなし子、独は家族親類のいない一人者。鰥寡は老いて連れ合いを亡くした男女を指すことが多く、徂徠は七十歳以上としているが、もっと若い人を含めることが多い。あまり知られていないが、徳川幕府の根本政策の一つが鰥寡孤独の救済。このために五人組制度も確立させたので、相互監視といった暗黒制度ではない。幕府が身寄りのない一人者を救済することにしたのは、人生を悲観し、人間不信に陥って自暴自棄となり、自殺する人もいれば、悪に手を染める人も出る。一人者同士で徒党を組み、野盗と化して強盗などを働くと社会不安が広がり、ひいては政治不信となり、体制転覆を図る者も出かねない。幕府は由井正雪の乱に衝撃を受けたようで、当初は浪人の取締りを厳しく行ったが、弾圧するだけでは人心は離れるばかり。そこで、自活することが厳しい一人者を公儀の責任において面倒を見ることとし、しかし直接は無理であるから、すべての人を五人組に組み入れ、都市であれば町奉行、藩なら目付や代官らの管轄で隣近所、地域で一人者の面倒を見させるようにした。これにより引きこもる人は出ず、常に人と接するから心が塞ぐこともないし、いちどういう状態になるかわからないお年寄りや障害のある人なども安心感が生まれる。また、敬老の精神が強く行き渡っていたので、お年寄りを粗略に扱うことがなく、子どもたちは大人のそういう態度を見て覚えるという道徳の効果もあった。厚生労働省の「厚生」という言葉の理念は鰥寡孤独を救うという意味も含まれている。現在はそういう崇高な理念は完全に忘れ去られ、自分のことは自分でやれ、何事も自己責任だ、政治に頼るのは甘えだ、ということを政治家や官僚、さらには御用文化人たちがしきりに振り撒くため、たとえば生活保護に頼るのは悪い事と国民が誤った認識を持つようになり、正当な権利を行使できないまま悲惨な状態になることが多発している。江戸時代より福祉が後退しているとすれば、実に情けない社会である。
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