政談420
【荻生徂徠『政談』】420
(承前) 今は諸宗いずれも袈裟・衣・衣服が贅沢で出費も嵩み、このために金銀を集めることばかり考えるようになり、仏法に悖ることが甚だしい状況だ。そもそも年忌というものは仏教には元来ないもので、死人を寺に葬ろうにも、御城下など葬地がない所ではどうすることもできない。戒名の付け方の乱れは特にひどく、上下の階級が出来て世間の出費も大変なもの。この他諸宗の規則も今は乱れ、多くはその宗にはない他宗の事までも、銭を取るために執り行うことが増えている。
[解説]戒名はその名の通り、自分自身の戒めのためにつける名(号)であり、死者につけるものではない。人は死ぬと成仏、つまり仏門に入るから戒名が必要になる、そのためにつけるのだ、という説明もなされているようだが、徂徠が批判するように、すでに江戸時代には階級を設け(院号をつけるなど)、安くはない銭金を取るようになった。一度きりのものだし、安くして故人にみじめな思いをさせたくない、という遺族の感情が嵩じて次第に見栄を張るようになり、生前の身分や地位に不相応な仰々しいものを金に糸目をつけず望むようになり、寺側もそれを拒否せず受け入れる。布施は「ほんのお気持ちで」ということで金額は明示されないが、このあってないようなものが逆に相場を釣り上げる。この結果、葬儀費用が莫大なものとなり、墓も立てられず、家族葬に樹木葬、貧困で葬式も上げられないと直葬で済ませるしかなくなる状況。戒名は自分でも付けられるし、生前の遺言として命じることもできる。しかし、寺のほうで嫌な顔をし、「この字は正しくない」「我が宗の所定のものに従ってもらう」などと拒否されることも増えているという。
正岡子規は生前、次のような遺言を残していた。
戒名といふもの用ゐ候事無用に候。かつて古人の年表など作り候時狭き紙面にいろいろ書き並べ候にあたり戒名といふもの長たらしくて書込に困り申候。戒名などはなくもがなと存候。
これにより、子規の戒名は筆名をそのまま使い、「子規居士」とした。
親友で考え方が似通っていた漱石は戒名について特に指示も希望も述べなかったが、「文献院古道漱石居士」という院号を冠したものものしいものが贈られた。
鴎外も死に臨んでは一切の位階勲等栄誉などを捨てて、石見人森林太郎として死ぬことを言明したほどで、戒名も望まなかったが、なにしろ高位高官で支持者が多かったために四つもつけられ、「貞献院殿文穆思斎大居士」に落ち着いた。これは大名クラスのものものしいものだ。
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