1867年12月9日

1867年12月9日

倒幕派によって朝廷から「王政復古の大号令」が発せられる。新政府が発足

「王政復古の大号令」の内容

1.(慶応3年10月24日に徳川慶喜が申し出た)将軍職辞職を勅許。

2.京都守護職・京都所司代の廃止。

3.幕府の廃止。

4.摂政・関白の廃止。

5.新たに総裁・議定・参与の三職をおく。

王政復古の大号令(部分)

徳川内府(内大臣徳川慶喜)、従前御委任の大政返上、将軍職辞退の両条、今般断然聞こしめされ候。抑癸丑(1853年)以来未曾有の国難、先帝(孝明天皇)頻年宸襟を悩ませられ御次第、衆庶の知る所に候。之に依り叡慮を決せられ、王政復古、国威挽回の御基立てさせられ候間、自今、摂関幕府等廃絶、即今まず仮に総裁・議定・参与の三職を置かれ、万機行なわせらるべく、諸事神武創業の始にもとづき、縉紳武弁堂上地下の別無く、至当の公議を竭し、天下と休戚を同じく遊ばさるべき叡慮に付き、おのおの勉励、旧来驕懦の汚習を洗い、尽忠報国の誠を以て奉公致すべく候事

この宣言は、12月14日に諸大名に、16日に庶民に布告された。徳川慶喜の将軍辞職を勅許し、一会桑体制を支えてきた会津藩・桑名藩を追うことで、慶喜の新体制への参入を排しつつ、一方では従来からの摂政・関白以下の朝廷機構の政治権力を復活させるのでもなく、五摂家を頂点とした公家社会の門流支配をも解体し、天皇親政・公議政治の名分の下、一部の公家と5藩に長州藩を加えた有力者が主導する新政府を樹立するものであった。

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