政談417
【荻生徂徠『政談』】417
(承前) 本末の公事は、曹洞宗に多い。勧請開山(かんじょうかいざん)という事から起こったもので、もともと勧請開山は公事を利用した巧妙なもので偽りである。宗派の祖師の御影(みえい)をその寺に掲げ安置することはあるだろうが、その寺の住持をしたこともない人を開山第一世にするのはあるまじきことである。ただちに停止させるべき。臨済派は宗派を固く守り、同宗派の寺より外へ出ることは許されない。どの宗派も本寺へ輪番して寺務を掌ることから、寺の格式の高下に関わらず、僧としての修行年数によるため、公事が少ない。曹洞宗は伽藍(がらん)相続ということをしたために宗派が乱れてしまったことから、各寺とも格式を守り、修行年数は問わず、本寺へも行くことができるため、寺法の害となる。
総じて寺の後継者や金銀のことで争うのは仏法に背くことであるから、公事に勝ったとしても、綸旨(りんじ)公帖を取り上げて平僧とすべき。出家は徒刑がよい。このようにすれば、おのずから出家の公事は減少するだろう。 [この項以上]
[語釈]●勧請開山 その寺とは関係のない僧を開山として崇めること。
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