政談409
【荻生徂徠『政談』】409
(承前) さて、過料によって罪を贖うのは古の法である。但し、古の贖法は、五刑の法を立てておき、それぞれに過料の額の多少を割り付け、その上で罪が疑わしい人、八議の人、年が八九十の老人、十歳以下の小児と、官人の笞杖罪については過料を以て罪を贖うことと定めている。また、富裕な民が悪事を働いた時は、償いとしてとても金のかかる普請をさせることが明の時代に見られる。先年、日本でも京都の町人那波屋(なばや)が贅沢をした償いとして橋を架けさせた例がある。このようなことは問題はない。
[語釈]●八議 唐律の定めで、日本の律は六議。徂徠は日本の律のことを引き合いに出しているので、ここでは六議のこと。皇親、皇帝五等以上の親、太皇太后・皇太后四等以上の親、皇后三等以上の親。親は親族。 ●那波屋 元禄以前の大富豪(家業は両替商)で、大名への貸金により財をなした。九郎左衛門と十右衛門の贅沢三昧に対し、京都所司代板倉重規(しげのり)が罰として宇治橋の架け替えを命じた。
[解説]江戸時代初期は武家の間で商人を卑しむ気風が強く、金を貯め込んで驕り高ぶる者がいると金を吐き出させる実力行使に出た。金持ちしわい(ケチ)というように、蓄財が夥しい者ほど金を有効に使おうという意識に乏しくなるようで、現代における大企業の莫大な内部留保もまったく同じことである。金は天下の回り物というように、常に世間でくまなく流通、回転してこそ全体が潤うので、行政は常に監視と指導を怠ってはならない。しかし、それができれば苦労はないという声が聞こえてくるように、行政もまた金がなければやりたい事もままならず、そのために持ちつ持たれつの関係を構築してしまう。最初は遠慮がちな付き合いも次第に馴れ合いとなり、癒着して、便宜を図ってもらうのを当然のこととし、相手も見返りを求めるようになる。現代は表向き身分制度はないが、実際には金のある者が強い。政治家に実業家を卑しめとは言わないが、国民・市民あっての政治家であることを忘れてもらっては困る。特定の者の利益誘導のために政治や法律があるのではない。
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