政談408
【荻生徂徠『政談』】408
(承前) 現在・武家には役替えなどの辞令書がないことから、官当の法を行使することができない。逼塞(ひっそく)・閉門にあたり役職を取り上げ、座席を下げ(降格)、知行を減らし、扶持を無給とし、さらに大小の刀を取り上げるのか否かで、浪人となるかならぬかの区別がある。また、御構いの場所の指定の有無によっていくつもの種類を設けることにより、徒刑の代わりとすることができよう。
閉門は、その昔、看督の長の靫(ゆき)を掛けたことに由来する。官吏に関する言葉である。今、町人・百姓に閉門を申しつけるのは、身分に対して行き過ぎである。特に百姓は農作をすることと人夫として従事することが公役である。閉門の間は家人も公役が禁じられるためによくない。
[語釈]●看督の長 かどのおさ。「かど」は「看督」(かんとく)の字音の転。平安時代の検非違使庁の下級職員。牢獄の看守を本来の職務としたが、のちには罪人追捕 (ついぶ) が主となった。身分は火長。弘仁式で定員2と定められ,これは貞観・延喜式制に継承されているが,その後次第に増員され,1035年(長元8)の「看督長見不注進状」では左右あわせて16人を数える。検非違使の武力は尉を中心とした比較的大規模な部隊編成を伴うものと京中を巡回する小規模なそれとがあるが,後者を代表するのが看督長で,少数の従者を率いることがあった。検非違使庁の権勢を笠に着て不当な捜査,追捕や乱暴な行動を行うことが珍しくなく,京中の人から頼られる一方で恐れられもしていた。
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