政談402

【荻生徂徠『政談』】402

(承前) 大赦で罪人を赦免するのも上の御慈悲であるゆえ、訴訟の有無に関わらず、罪の軽重を役人が糾し、吟味してから赦すのが古法であるが、今はとにかく寺に依頼して訴訟をしてもらうため、罪人は上の御慈悲とは思わず、仏法のおかげと思っている。異国でも古の日本でも、大赦はめでたい時節に行うはずのものなのに、将軍の御他界や御年忌の時しか行わないのでは、下と上とが悦びを共有することは失せて、上の悲しみを下が悦ぶようになってしまう。これは法の立て方が未熟だからである。


[解説]和漢ともに大赦は国家的な慶事に合わせて行われたが、いつしか凶葬といったよくない行事に合わせて行われるようになった。こうなると、罪人やその親類などは人情として将軍や天子など貴人の不幸を願うようになり、大赦の趣旨に叶っていないと徂徠は批判する。慶事である天皇の代替わりに合わせて祝日を設けることは国民が等しく祝うということでよいものの、これが10連休ともなると、負の影響が大きくなる。こうなると、慶事を逆に忌々しく思うようになり、国家権力による押し付けこそが徂徠のいう「法の立て方が未熟」、つまり為政者の考え方が間違っているということである。

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