政談393
【荻生徂徠『政談』】393
●刑罰の事
刑罰の事。古代の夏・殷・周の三王朝では、墨(ぼく)・劓(ぎ)・剕(ひ)・宮(きゅう)・大辟(たいへき)の五刑を極刑とし、五刑より罪一等を減じる時は流罪とした。五刑の適用が疑われる場合は財物によって償わせた。また罪隷(ざいれい)というのがあり、これは後世の徒罪である。笞杖(ちじょう)罪はこの時は無かった。
[語釈]●墨 入れ墨の刑。 ●劓 鼻を削ぎ落す刑。 ●剕 足の膝から下を切断して歩行ができないようにする刑。 ●宮 宮刑。陰部に対する刑。男子は陰部を切除し、女子は閉ざす。腐刑とも。 ●大辟 死刑。 ●徒罪 懲役刑。 ●笞杖 ともに1メートル程度の棒で、笞は細く、杖はそれよりやや太い。罪人をうつ伏せに寝かせて、太ももや尻を叩くが、江戸時代の百叩きのように割竹により急所を避け、休み休み行う軽いものではなく、歩行困難は確実、ひどい場合は背中を叩き、絶命することもしばしばだった。このあと出てくるが、殴打する回数は500回、重い場合は千回。日本のはあくまで「二度と悪さをするなよ」という意味で刑としては軽く、百回叩くのは重い場合で、初犯などは50回だった。
[解説]これより刑罰についての論となる。巻四では一番多く字数を費やしている。
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