政談391
【荻生徂徠『政談』】391
総じて大坂在番は、あまり規則が厳しくてはうまくゆかないようである。およそ人はただ居るだけということはできぬもの。仕事場である御番所は別として、それぞれの居室では一調や謡いの独吟ぐらいはかまわないし、笛や雅楽の笙・ひちりきなどを覚えた人は、それもかまわないだろう。一切、鳴り物を禁じて忌中のようにするのはよくない。御番衆は常に鳴りを潜めた状態にいることから、あれこれ食べてその金がずいぶんかかり、博奕までする者が出る。大名の屋敷で規則が厳しい所ほど、博奕や淫乱が流行るものである。
[語釈]●一調 大鼓(おおつづみ)・小鼓・太鼓(たいこ)のいずれか一つを打って、謡曲の一段を独吟すること。
[解説]組織の規則・きまりが厳しい所ほど士気が低下し、よからぬことが流行る。国家レベルも同じで、時の政権が細かくうるさく、不寛容で重圧ばかりかけると、国民の士気は低下する。生産性というのは、一端は組織の上の者の器量や才覚にかかっているが、それに気づかなかったり、あくまで下の者に責任を押し付けようとする所では、事態が好転することはない。今のように音楽を聴くための装置がなかった当時は、自分で演奏したり、誰かが演奏してそれを聴くしかない。仕事を終えたり非番の時も「音曲禁止」という規則では、徂徠も言うようにお通夜のようであるし、また獄中のようでもある。適度な息抜きや楽しみがあってこそ、また仕事に精励できる。そういった下情に通じる者であってこそ、組織を束ね、効率よく動かすことができる。
0コメント