政談389

【荻生徂徠『政談』】389

(承前) 大坂城は公儀の御城であるから、江戸の御城では死人も病人もそのままの状態ですぐ御城から出してしまうしきたりに準じてのことか。総じて城というものはもともと戦いのために設けたのであるから、元来は死穢を忌むべき場所ではない。江戸の御城は将軍の御座所となっているのだから、死穢を忌むのは当然である。大坂城は普段の御座所ではないから、江戸城とは違いがあってよい。江戸は御城の外に大名や幕臣らの屋敷があるのだから、そこへ下げさせて当然。大坂では城からただちに寺へ移して葬ってしまい、これでは薄情である。主人が亡くなった上は、主人のない家来どもを御城内に留めておくことはできないということか。他の御番城は、家来だけで警固させることもある。相番の番頭が死亡した番頭の家来たちを一事預かっておけば問題はなかろう。


[語釈]●他の御番城 京都の二条城、駿府城、甲府城、伏見城。甲府は有事の際に江戸の将軍が緊急避難をするためのものという性格を持ち、甲州街道は避難路として整備された。 ●相番の番頭 大坂城と二条城はそれぞれ二組の大番頭が派遣され、隔日交代で番をした。大番頭のもとには、番頭1人、組頭4人、番士50人、与力10人、同心20人が配属された。

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