1940年11月10日

1940年11月10日 昭和15年

【内 閣】

第2次近衞文麿内閣

総理 近衛文麿/外務 松岡洋右/内務 安井英二/大蔵 河田烈/陸軍 東條英機/海軍 及川古志郎/司法 風見章/文部 橋田邦彦/農林 石黒忠篤/商工 小林一三・河田烈(臨時代理)/逓信 村田省蔵/鉄道 小川郷太郎/拓務 秋田清/厚生 金光庸夫/国務 平沼騏一郎・星野直樹

企画院総裁 星野直樹/次長 小畑忠良

内閣書記官長 富田健治

法制局長官 村瀬直養

【元 老】

西園寺公望

【宮中主要官】

内大臣 木戸幸一/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 原嘉道/枢密院副議長 鈴木貫太郎

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 沢田茂/教育総監 山田乙三

[海 軍]

海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭

【植民地高官】

朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介

【東 京】

府知事 岡田周造/市長 大久保留次郎


皇居外苑で紀元二千六百年式典を実施。11月14日まで日本各地で記念行事が行われる。

紀元二千六百年式典

内閣主催の「紀元二千六百年式典」が1940年(昭和15年)11月10日に、昭和天皇・香淳皇后臨席の下、宮城外苑で挙行された。式典のために寝殿造の会場(光華殿[2])が設営された。式次第は下記の通り。

 開会の辞(近衛文麿首相)

 国歌奉唱

 近衛首相による寿詞(お祝いの言葉)奏上

 勅語下賜

 軍楽隊・東京音楽学校による紀元二千六百年頌歌斉唱

 万歳三唱

 閉会の辞(近衛首相)

紀元二千六百年式典ノ勅語(昭和15年11月 10日)

※漢字は常用漢字に改めた。

茲ニ紀元二千六百年ニ膺リ百僚衆庶相会シ之レカ慶祝ノ典ヲ挙ケ以テ肇国ノ精神ヲ昂揚セントスルハ朕深ク焉レヲ嘉尚ス

今ヤ世局ノ激変ハ実ニ国運隆替ノ由リテ以テ判カルル所ナリ

爾臣民其レ克ク嚮ニ降タシシ宣諭ノ趣旨ヲ体シ我カ惟神ノ大道ヲ中外ニ顕揚シ以テ人類ノ福祉ト万邦ノ協和トニ寄与スルアランコトヲ期セヨ


この模様は日本放送協会(現在のNHKラジオ第1放送)によりラジオで実況中継されたが、天皇の勅語の箇所は放送が中断された。これは、ラジオの聴取者がどのような姿勢・体勢で放送を聴いているかがわからないため、不敬とされる状況が生じるのを避けるための措置であった。天皇の肉声が正式なプログラムとして初めてラジオで流れるのは、1945年(昭和20年)8月15日のポツダム宣言受諾を伝える玉音放送である。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。