政談379

【荻生徂徠『政談』】379

(承前) 志がある人、大きな望みのある人、忠義を重んじ、主人の御用に役立ちたいと思う人は、喧嘩の相手などしないものである。韓信が人の股をくぐったという故事もある。木村重成(しげなり)が坊主に頭を叩かれても堪忍し、仙台の政宗が兼松又四郎に頭を張られた類も、どうして臆病と言えようか。もっとも、臆病でその場から逃げ出す人もいるだろうが、それを詳細に確かめることは難しい。


[語釈]●韓信 中国秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。まだ若くて無名のある日のこと、韓信は町の若者に「てめえは背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。できないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って若者の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。その韓信は、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。(以上、Wikipediaより) 

●木村重成 木村 重成(きむら しげなり)、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣氏の家臣。知行3千石。 23歳で討ち死にした割には言動が詳細で美談が多く、これらは史料的に明確ではなく、そのまま受け取るのは危険。 ●兼松又四郎 兼松正吉(かねまつ まさよし)、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。織田信長→信雄→羽柴秀吉→豊臣秀次→豊臣秀吉→徳川家康→松平忠吉→徳川義直と主君を次々変えた。武士は二君に仕えずというのはあくまで建前、理想論であり、戦国時代には少しでも自分を高く評価してくれる武将がいれば乗り換えた。これは反対給付が当たり前だったからで、江戸時代のように泰平の世で主従関係が固定化すると主君の乗り換えは不可能となる。兼松は伊達政宗の無礼に怒って顔を殴ったことが『翁草』などに見える。

過去の出来事

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