政談374
【荻生徂徠『政談』】374
(承前) 総じて訴人を臆病呼ばわりするのは、私的な義理においてのことである。右の訴人は大所に立った忠節によるもの。戦国の時分には幾人もあったことだろう。いずれも皆忠節に立ち、その子孫は今、大名にも旗本にもいるはず。総じて私的な義理と公的な忠節とは違いがある。国の治めには私的な義理を立てる場合もあるが、公的に大いに背いて害がある事については、私的な義理は立ててはならぬ。忠弥のような事は今後も起こらないとは言えない。よく御詮議あって、御奉公を仰せつけられるべきである。
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