政談367
【荻生徂徠『政談』】367
(承前) 備前の松平(池田)伊予守綱政公の奥方の態度がとても立派だったと我が妻の母が語られた。母は若い頃に池田家に奉公していたからよく知っているのである。妾となり子を持った女も、やはり奥方に仕えて、他の女中と同じ扱いだった。ただ、扶持米が少し多いのと、奉公が楽になる違いぐらいである。伊予守殿の奥方は賢良なる夫人で、さような者を見ると大切にいたわった。奥方の遊びは管弦・和歌・手習いなどで、三味線や筑紫琴(つくしごと)などは大名のすることではないとしてなされなかった。これは藩祖新太郎(光政)少将が聖人の道を深く信奉して家内をよく治めた余風が残っていたからである。しかし、礼というものを立てなければ主人の物好きということになり、池田家も今はその余風が破れてしまったと聞く。されば、妻と妾の区別についても礼制を立てる必要がある。
[語釈]●松平(池田)伊予守綱政 備前岡山城主。1638-1714。妻は奥州二本松城主丹羽光重(1621-1701)の長女。 ●筑紫琴 雅楽の筝(そう)から変化した十三弦の民間の琴。大永年間に肥前の賢順が完成させた。 ●新太郎(光政)少将 池田光政(1609-1682)。通称新太郎で、自身、生涯これを名乗った。寛永9年、備前岡山藩主。学問・産業を奨励。儒者の熊沢蕃山を登用した。
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