政談366
【荻生徂徠『政談』】366
(承前) 唐律を調べてみるに、妻の次に媵(よう)というものがある。これは身分がいやしい者ではない。妻とさほど違いのない家筋の人である。我が国の律はこの部分が欠巻のため分からないが、あらまし日本の古法は唐の律を元にしていることから、これについても違いはないと思われる。この媵というのは、つまり古の姪娣(てつてい=めい・いもうと)である。かねてよりこのような人を妾として婚礼の時に連れてゆくが、今ではこれも習慣として慣れてしまい、本妻もあまり嫉妬しなくなったのも当然である。また本妻の親類で家来の中から選ぶことから、人の心はいろいろだが、妾が悪事をあまりしないのも道理である。妾をたくさん持つことは、大好色の人は別として、大方は男の心もこれで満足することだろう。古聖人は人情を察して、男女の間に問題が起きないようにこのような礼制を立てられた。今、大名の家に上臈(じょうろう)の御方というものがある。これが古の媵であろう。中頃より本妻の嫉妬の心に味方して、夫の召使いのようには今はしなくなったのであろう。
[解説]大名家の上臈は奥女中を取り締まる老女。中国における媵(よう)は上臈と同じであるとする。さすれば、妻に匹敵する身分でありながら妻が嫉妬しないという意味もわかる。妾でも老女ともなれば夫も求めはしないのだから。
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