政談359
【荻生徂徠『政談』】359
(承前) 皇子を必ず親王にするのは後世になってからのこと。上代では親王になるものもあれば、諸王で終わるものもあった。姓を賜って人臣になるものさえあった。親王でさえ、まだ位に叙せられない無品(むほん)親王は四位(しい)に相当する。まして諸王の無位は平人同様である。されば、皇子が誕生したからといって、その御母が結構な身分になるということは『源氏物語』の頃まではなかったことである。妾で子が生まれた者を御部屋と称して結構な身分として扱う時代の風俗に合わせるために、有職の輩の作ったことは明らかである。昔、「母は子をもって貴し」と言ったのは、その子の代になってからのことである。
[語釈]●「母は子をもって貴し」 『春秋公羊伝』の「隠公元年」の条に見える。子が当主となって、その時点で生母の地位も高いものとなった。徂徠によれば、日本でも源氏物語が書かれた当時あたりまでは皇子の生母だからといって皇子が生まれるとともに地位が高くなり、貴人として扱われることはなかったが、次第に世継ぎとなる男子を生んだ女性は、それが側室(妾)であっても正妻と同等の地位となり、尊称を以て呼ばれ、立派な専用の部屋も与えられるようになって、これが当たり前となったことに対して、古礼に背くものとして批判する。
0コメント