政談356
【荻生徂徠『政談』】356
(承前) また、宗廟の祭りには、天子の后が祭りの儀式では供物を薦める役をする。これも夫の家に嫁しては夫の先祖を尊び、夫と共に仕えることを教えるのである。今はこういったこともせず、女の諸礼者などという者があるが、元来が文盲の人であるから、奢りを教えるばかりで、正しいことを教えない。どれほど上において倹約されようとも、礼を教えない状態では、世間の人は皆、諸礼を「これが礼である。故実である。尊いことだ」と思い込んでしまう。このため、上が倹約なさるのは「ただの物好き」と思い、甚だしきに至っては「けちなことよ」などと言い、倹約を守る人などいない。古の聖人も自分で道を実践し、それによって風儀が移るようにするだけでは、下の人へは思いが伝わらないことを分かっていることから礼というものを立てた。このことは、智恵が広大で深く、よく人情をわきまえているからである。
[解説]将軍吉宗は質素倹約を身をもって示し、大奥の大半の女性たちを解雇し、自分の着物を絹から木綿に変えさせるなどした。上たる者が見本を示せば、下へと広がるという期待からだが、制度として定めたり、努力目標を決めて達しなかった場合の罰則を設けるといったことをしなかったため、同調して従う者はほとんどなく、「ケチな方だ」と陰口をたたく者さえいる始末。徂徠は聖人の道(古代の中国の法令、制度。特に周代に定められたもの)に従い、倹約を徹底させるにも明確な定めをすべきことを説く。
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