政談348
【荻生徂徠『政談』】348
(承前) さらに、仙台の片倉、長門の吉川(きっかわ)、肥前の諫早、阿波の稲田など大藩の家老の家について、かねて時々参勤を命じ、別に御目見(おめみえ)や御奉公を仰せつけられ、もし主家が潰れても、今までの御奉公に免じて、知行を半分にしても存続させるべきである。このようにすれば、外様の大身の大名を取り潰すことも御心のままにできよう。これは決して大名を潰すための策ではない。日本国中が上の御心のままに治めることができない時は、場合によってはご政道に差し障りが生じてしまうことから、ごのような愚案を述べさせて頂いた次第である。
[語釈]●片倉 仙台伊逹家の家老。代々、陸奥白石城の城主を務めた。16000石。 ●吉川 周防毛利家の家老で岩国城主6万石。家康は敵対した毛利家を潰し、内通の功により吉川広家に領地を与えようとしたが、広家の嘆願により毛利の家名は存続、吉川も独立せず元のままとなった。 ●諫早 佐賀鍋島家の家老。代々、諫早城主。1万石。 ●稲田 阿波蜂須賀家の家老。代々、洲本城主。14500石。
[解説]幕府は政策として外様の筆頭家老をお目見の身分にした。お目見は将軍の知遇を得ることになり、藩主といえども勝手に罷免したりその家を潰すことはできなくなる。これを利用して藩主を監視させ、幕府に謀叛を起こさせないように牽制した。しかし、藩主が問題を起こしたり、世継ぎがなくなると藩が取り潰しとなり、家老の家も路頭に迷う。徂徠は、家老は代々の勲功もあり、幕府に対する御奉公もしてきたのだから、知行を半分にしても家老の家は存続させ、旗本として改めて取り立てることで暮らしに困らないようにさせる。家来を主人と切り離せば、遠慮なく主人を処罰することができるということ。徂徠は5代綱吉によって将軍に意見ができる立場となり、ほどなくして赤穂事件が発生。討ち入りを果たした赤穂浪士たちの処分について幕閣で意見が分かれ、綱吉もどうすべきか苦慮していたところに、法は法であるから、仇討免許状もなく、武器をもって江戸城下を騒がせた罪により死罪とするが、浪士たちは主君のために報復をしたことは武士として酌量に値するから、浪人ではなく武士としての名誉刑=切腹が妥当である、という考えを述べた。結局、正式な幕臣ではないことからあくまで参考意見という扱いながら、徂徠の意見の通り処断された。今までの功績は最大限認めるべきという徂徠の気持ちが、政談にも息づいている。
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