政談329
【荻生徂徠『政談』】329
(承前) しかるに世は移り、武家は江戸に住み、譜代の家来がいなくなって出替わり者を雇い、その不埒者たちを江戸御城下で召し抱えるため、来歴がよくわからないのに、御城下で請け人を立て、その請け人の寺を檀那寺にしている。また、大名の家来も江戸屋敷で採用する者が多くなり、他所の浪人などを召し抱え、江戸で檀那寺を作っている現状であるから、「代々何宗」と宗門手形に記載しているのは大いなる偽りである。本書一巻めに述べたように、出替わり奉公人はすべて地頭請けにすれば、宗門手形は本国での発行となることから、昔のままの姿となり、「代々何宗」の通りで少しも偽りがなくなる。何事も世の風俗が移り行くことに気が付かないとこのような誤りが生じるものであることを知る必要がある。
[解説]参勤交代の制度があるために、藩主が江戸に滞在する間は当然、家臣が必要となり、家臣たちそれぞれに使用人が必要となる。末端の者まですべて自分の領民とするのが望ましいが、役付きの一部の大名を除けば、江戸に滞在してもすることがない。月に2~3日の登城だけが仕事である。あとは格式により消防を担当したり、橋や道路の普請を言い付けられるといったことがあり、臨時の仕事はそれなりにあるものの、基本的にはヒマである。このため、参勤交代の道中の要員を必要最小限に抑えて、あとは荷物持ちなどは行く先々で人足を雇うことをしたり、江戸屋敷の要員も徂徠が言うように地元(江戸)で雇い入れ、本国の人間を移住、定住させることはせず、経費節減とヒマな状況に対応している。江戸の浪人や庶民にとっては働き口ができてありがたいし、大名たちも非正規雇用のほうが随時増減できて便利だが、弊害として、ならず者たちを多く雇ってしまい、その者たちがさむらい風を吹かせて町人や他の大名の使用人たちにケンカやいやがらせをして回るといったことが多発した。本書で徂徠が繰り返し述べているように、末端の者まですべて領民を採用すれば領主への忠誠心があり、郷土意識も強いので、悪さをしなくなる。全くないということはないだろうが、カネ目当てに誰でもいいから形だけ仕えるという者とは基本的な心構えが違う。宗門手形が必要なことから、江戸で雇われてにわか藩士となった者も「先祖代々、当家は真言宗」などと書いて切支丹や日蓮宗不受不施派でないことを証明したが、実家がなく、単身で暮らしている者は「先祖代々」と言っても、それはなかなか証明できない。また、檀那寺があっても遠い地方にあるなどして、そこで証明をもらうのが大変な者も少なくない。大名としてはすぐに雇い入れたいため、適当に書かせてしまう。これが、手形があるために偽りをさせている、と徂徠が批判する点である。形式さえ整っていればよい、という行政の書類重視は、ともすれば偽りを許してしまうことになる。果たしてその書類は本当に必要なのか、書類に信用を置きすぎていないか。いろいろ示唆に富む段である。
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