政談322

【荻生徂徠『政談』】322

(承前) 駕籠の誓詞は、まず第一に、奉公人の年齢が多くは五十歳に達していないのに五十歳と称しており、最初から誓詞に書いたことを破っている。駕籠はその頭(かしら)や主人から願い出れば、わざわざ誓詞など書かずとも問題はない。奉公人が仮病を使うことについては、以下のさまざまな理由もあることから、致し方ないといえよう。生計が成り立たないために仮病を使う。これは現在とても多い。とても知恵が不足している人(精神薄弱)を親類が相談の上病気に仕立てるもの。とても太って動くのもままならい人。精神に異常があるのを騒気(狂気)と申し立てると家が取り潰されることから、偽って病気とするもの。さらにはお上に対する不平不満から仮病を使う人や、不平不満はないが、世の中の状況を判断して引き籠る人。頭(かしら)と仲が悪いために病気と称して引き籠る人。恥辱を受けて憤慨して引き籠る人など。


[解説]前段で、誓詞はむやみに作成するものではないことを述べたが、本段ではまず、誓詞がなければ駕籠に乗る事が許されないために年齢を偽ってまで乗ろうとする者が多く、わざわざ法を破る行為をさせている現状に鑑み、駕籠については職掌の責任者や仕える主人から届け出があれば誓詞は必要ないようにすべきことを説く。後半は、仮病を使って誓詞を書く者も多いが、仮病を使うのはそれぞれ理由があるからであり、これを一律に違反としてしまうと、却って職務に支障が生じ、全体が沈滞してしまうから、奉公人のように身分の軽い者については、あまり穿鑿せずに受理し、できるだけ仮病を使わずに済む環境にすることが大切であることを示唆する。この点は本当に心身の具合が悪くてもとにかく出勤しろと命じたりそのような無言の圧力を空気で漂わせる現代人(特


に経営者や管理職)は再考すべきことである。いくらでも人の代わりはいる、というが、代わりのほうが総じて質は低下するし、労働環境も全く改善させないために、ますます雰囲気が悪くなる。つまり、上の者の意識を改革しない限り、ブラックやグレーな企業、組織はなんら変化も進歩もせず、従って営業成績も上昇しない。

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