政談319
【荻生徂徠『政談』】319
●御城下屋敷割の事
御城下の屋敷割は、大名を江戸の外れに置き、小身者を御城の近辺に置きたいものである。小身者は家来や奉公人が少なく、しかも勤めが忙しいゆえ、御城の近くが相応しい。大名は1日と15日だけ出仕し、しかも大身で人も大勢いるのだから、遠方が相応しい。御城が近いことから大名の屋敷で混み合い、防火体制も悪い。大名の屋敷は立派で、小身者の家はみすぼらしいため、御城を立派に見せるために近辺に大名屋敷を置きたいのだろうが、小身者のみすぼらしい家のある所は周囲を練塀(ねりべい)にし、その内側を屋敷割すれば、小身者でも立派に見える。
[語釈]●練塀 瓦と土を交互に積み重ね、上部を瓦で葺いた土塀。以下、東京都千代田区のホームページより。「町名由来板:練塀町(ねりべいちょう) 練塀(ねりべい)とは、瓦(かわら)と練土(ねりつち)を交互に積みあげ、上を瓦で葺(ふ)いた土塀(どべい)のことです。瓦と土の織(お)りなす縞模様(しまもよう)が美しい塀で、関東ではとくに武士たちに好まれていたようです。 江戸時代のこの界隈(かいわい)は、練塀が一帯に広がる武家地でした。ことに南北に神田から下谷(したや)まで通じる道には、立派な練塀の屋敷が多かったため、「下谷練塀小路」と呼ばれていました。古い資料を見てみると、「町の南隅(みなみすみ)の河野某(なにがし)の屋敷の練塀が立派だった」とあります。」
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