政談316

【荻生徂徠『政談』】316

(承前) 今、猿楽は費用がとてもかかるため、改めて楽師を採用しようとすれば、さらに莫大な金がかかる。その上、猿楽は謡い物が絶えたために、人情に遠いものとなった。これらを考え合わせて私見を述べると、後鳥羽院の御作に宴曲というものがある。一、二冊は世間にも出回っているものである。長門の毛利家に大内家の時より伝えられたものとして全部で十余冊ある宴曲の譜がある。その譜の体裁は、謡(うたい)よりは節が長く、声明(しょうみょう)などよりも短い。合間に調子をつける所があるので、謡を主として楽をつけたもののようである。一番の長さは、いずれも謡の曲舞(くせまい)ほどある。春・夏・秋・冬・雑・賀・神祇(じんぎ)・釈教・恋・無常と歌の題のように一番一番に名前をつけている。その折その時に、その事に合わせて相応しいものを使えるようにしたようだ。これらを取って楽を添え、舞をつけて、装束は一律に狩衣(かりぎぬ)か直垂(ひたたれ)を着用したならば、能の代わりとなり、費用も少なく、一方で芸術性も調(そなわ)ってよいように思われる。これは楽の巧者に命じて、二、三年も四、五年もかければ成就することである。しかし、これらのことは諸事の制度が調り、世の中が豊かになってからのことで、急ぐことではない。


[語釈]●宴曲 鎌倉中期から始まり、室町中期にかけて、武士や僧侶の間で流行した、遊宴の場で歌われる歌謡。 ●声明 奈良時代にインドから伝来した仏教歌謡。今も寺院で演奏されている。 ●曲舞 宴曲に白拍子(しらびょうし)の舞のついたものという。散文的詞章を唄いながら一人で舞う。観阿弥によって謡曲に採り入れられた。 ●狩衣 公家の略服だが、江戸時代には礼服となった。

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