政談310

【荻生徂徠『政談』】310

 ●総じて御触の事

 公儀よりの御触は、家康公が江戸に入府されて以来、今に至るまで、数百数千にも及ぶおびただしいものが出されている。御旗本の面々も、それぞれの国でも、町方でも、一々覚えるのが大変である。そのうちには、昔の御触を取り違えてしまうこともあるし、どの法は守る必要がなくなったものか、どの法は順守しなければならないものか、紛らわしくて下役人たちの戸惑いも多い。お上においては、最近の御触を用いずに、数十年も昔の御触を取り出して下の者を咎められることがあるように承っている。されば、余りに法度が多いと、却って下の者たちを混乱させてしまう。昔からの御法度の趣旨を調べ、吟味して、必要のないものは除き、守るべき法を選りすぐって定められたい。


[解説]現代は、法律のほかに政令や府令、内閣官房令、省令、規則、告示など、日々官報で公布される御触れの数たるや膨大である。国が出すものは基本的に国民に対して出されるもの。特に法律は国民として生きてゆく上で知らないでは済まされない重要なものだ。しかし、我々は今日、どういう法律や省令が出され、それがいかなるものか、まったく知らない。官報に掲載された条文を見ても、完全に理解するのは不可能だ。その官報では、法律については冒頭に要約したものを掲載して便宜を図っているが、それでも専門的であり、説明も平易とはいえず、すぐに理解するのは難しい。そこで、新聞が最低でも法律に関して、その日公布されたものを全文掲載し、説明をすべきである。これもまた公器としての使命のはず。そういう新聞が全くないのはむしろ奇異ですらある。明治時代の新聞を見ると、官報を掲載する形で公布されたものを拡散している。戦時中には大本営発表を掲載した。問題の多かった大本営発表をそのまま掲載したのは大いなる罪だが、国や関係機関が公布したものを新聞で周知させることは現代でも必要。そこで、果たしてこんなに多くの法律や政令、省令が必要なのかということになる。日によっては官報の本紙だけでなく号外まで使って、数百ページにも及ぶ各種条文が並ぶこともある。こうなると、新聞の全面を埋め尽くすことになるが、一度、そういうことをしてみれば、国民は必要な法律や省令とはなんなのかを考えるようになるし、国会に上程される法案についても厳しく見るようになる。国会を通す必要のない省令に至っては、それこそ各省庁が勝手に出し、法律より強いものになったり骨抜きにするものがある。こういうのも、新聞で逐一解説すべきだろうし、徂徠が言うように、本当に必要なものだけを選りすぐることで行政がわかりやすくなり、携わる役人たちも仕事がしやすくなるというものである。現政権では全く期待できないので、次の正常な政権を俟ちたい。

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