政談308

【荻生徂徠『政談』】308

(承前) 御番衆は警護の役という本分を忘れて、行儀ばかりとらわれ気にするために、武士らしさが失せて公家のようになってしまったのは、お上がそうさせたのである。警護の役をしっかり自覚していれば、お上の御催促がなくても、自ら垣根となるべく剣術・柔術・捕縛といったことを自発的に修練に励むものである。


[解説]剣道とか柔道といった言い方は明治時代になってから盛んになったもので、江戸時代は「道」などというご大層な意味づけをせず、あくまで武芸、武術といった嗜みとして修練を積んだものである。「道」というのは精神主義が根底にあるが、道を極めることと、武士として武術を身に付けることは別である。なんでもかんでも「道」を要求されたら、却って息がつまる。番士は警護役なのだから、いざという時にならず者と対峙し、取り押さえたり、時にはその場で討つ。実戦としての技を体得するのだから、剣の術、柔の術である。ほかにも弓術や馬術、水術など、すべて「術」と言った。もとより精神修養は大切であり、武士は為政者であるのだから、庶民から慕われ、尊敬されるよう立ち居振る舞いに気をつけなければならず、それが自然に出るようにするためには、何事も精神を集中させ、その術の成り立ちや意義を理解する必要がある。ただ、その専門家になるわけではないのだから「術」でよいはずで、明治以降「道」というなにか重々しいようなものに奉られたのは、国家主義、全体主義という時代相と無縁ではないだろう。「武士道」も明治になって作られた概念である。

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