政談298
【荻生徂徠『政談』】298
●御老中への年始の礼を御目付に触るる事
年始の礼に、御老中の屋敷へ参る日限を目付より触れ出させるのは、近年始められたことだが、これも間違いである。御老中への年始の礼はそれぞれ一対一の礼儀である。御老中といっても仲違いしている人もあれば知り合いもあり、こういうのは年始には参らない。御老中も傍輩(ほうばい)だからである。しかし、目付から触れを出されるとなれば、相対の礼を公法とすることになる。御目付は公儀の役人である。公儀の役人が相対の礼を指図するなどあるまじきこと。昔はこのようなことはなかったが、近頃は御老中が高慢となり、御目付はつい御老中の使い走りをして、自分が非法を咎める職掌であることを忘れてしまっている。このために筋違いなことがまかり通っている。
[解説]今は年賀状で済ませている新年の挨拶=年始回り。当時はきちんと出向いて口上を述べた。基本的には上役と同輩。このため、下の者ほど回る先が多く、元日の午後から2日、さらには3日と、ほとんど年始回りに費やされた。但し、家来を持つ家の主人=大名や旗本ら。家来はこのような仰々しいことはしない。もし、行った先の主人が同じく年始回りで不在の時は、留守居役などが代わって受けて、答礼をした。老中のように事実上最高位の者は自分から挨拶回りに出向くことはないが、逆に挨拶される側としては最も多くの人数を受けた。このため、どうしても来る者たちがかち合い、混雑した。そのためもあって、幕府として家格などにより日限を定めたが、徂徠にすれば、挨拶は当事者間での私的なものであり、幕府という公的な者が介入して指示するのは筋違いも甚だしいということ。あくまで名分を重んじ、習慣を尊ぶ徂徠にとって、幕府が定めてよいものとそうではないものとの区別は明確にすべきとする。これはその通りで、現政権は次第に東京五輪にかこつけて、国民の生活から思想にまで介入し、統制をはじめているが、幕府ではない、立憲民主制での政権がこのようなことをするのは、徂徠にすれば驚愕することだろう。
絵(「年始御礼帳」四方赤良他)は道で遭遇した武士同士が挨拶をかわしているところ。狭い江戸のこと、こういう光景も多かった。屋敷だと畏まった挨拶をしなければならないが(なお、主人が在宅でも飲み食いはしなかった。そんなことをしていたら何日かかっても終わらない)、こういう場だと簡単に済む。
新年の挨拶は「御慶(ぎょけい)申し入れます」。なお、将軍が大名らに発する新年の言葉は「めでとう」。「おめでとう」の「お」は敬語だから、敬語を受ける側は敬語を使う必要がない。そこで「めでとう」とだけ言った。
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