政談296

【荻生徂徠『政談』】296

(承前) 近頃、公儀から内曲輪でも供の者に日照笠をかぶらせない触れを出す事を聞かない。総じて供の者が日照傘をかぶるというのは、昔はなかったことである。綱吉公の御代に、下々が炎天下に頭を照らされるのを気の毒に思われ、上意である旨が伝えられてから、人々は炎天下には笠をかぶるようになった。しかし、正式な通達ではなかったため、二、三年の間はかぶらせる大名、旗本もあれば、かぶらせない者もあり、主人たちの気持ち次第だった。後には習慣となり、皆かぶるようになった。主人がかぶれと言わなければ従者たちがかぶらないのは、元々は主人への礼儀としてかぶりものを取るというのを従者たちが知っていたからであった。正式な通達がないのも、主人への礼儀であるということを理解しているためで、それを飛び越して公儀が命令する筋合いのものではない。


[解説]宝永6年、夏期のでも天気がよい日は内曲輪においては供の者たちの笠着用を禁ずる触れが出された。翌年も再度発布。さらに2回繰り返し出された。その後は本書執筆時まで出されることがなく、徂徠が「近頃~聞かない」というのはそれを指している。綱吉は口頭で非公式な意思として老中に酷暑の際は日笠を着用してかまわぬと伝え、これが大名や旗本に伝えられた。これを受けた多くの主人たちはかぶることを認めたものの、元来、家来は主人の命令が優先し、すべてでもあったから、これを飛び越えて公儀から命令することはできない。参勤交代の制度も諸藩で自発的に始めたもので、公儀から命令したものではない。暴君のように言われる綱吉だが、綱吉もまた分をわきまえており、「炎天下で主人を待つ家来たちはさぞ大変であろう、遠慮なくかぶらせたらどうか」という気持ちを吐露した。ひとたび何かいえば、それは上意、上様のご意思となる。それを伝えただけでも大きな影響力がある。早速、家来たちにかぶってよいぞと言った主人もあったが、なにも言わない主人もあった。この段だけでは意味がわからないので、続きである次の段を御覧じろ。


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