政談294
【荻生徂徠『政談』】294
政 談 巻之四
●内曲輪・外曲輪御門番の事
内曲輪(うちくるわ)・外曲輪(そとくるわ)の御門番をする侍・足軽らが、自分の主人の親類に対して土下座をしているのは、いわれのないことである。その理由は、内曲輪・外曲輪もつまりは城門である。されば、この番所は公儀の御番所である。であれば、私的な土下座は筋違いというもの。御門番は御城の警衛役であり、厳密でなければならない。総下座の者以外は土下座させないようにすべきである。
[語釈]●内曲輪・外曲輪 城郭で、全体をとりまく外郭を外曲輪といい、その内部に設けた郭を内曲輪という。享保6年の諸門の御定書(おさだめがき)では、江戸城の内曲輪は半蔵・外桜田・日比谷・数寄屋橋・呉服橋・神田橋・一ツ橋・竹橋・田安の各門を結ぶ堀の内側、外曲輪は浜御殿より幸橋・虎の門・赤坂・四谷・市谷・牛込・小石川・筋違橋・浅草橋の各門を結ぶ堀の内側と定めている。 ●総下座の者 公家・門主・御三家・同嫡子・老中・所司代・若年寄・御側・大目付・目付。以上の者が門を通る際には、門番たちは土下座することが定められていた。しかし、身分の低い番士たちにとっては、これ以外の大名や旗本たちも高位高官で畏れ多いため、特に親類筋の者が通過する時は土下座をしてしまうことが多かった。これについて徂徠は、門番は警護をすることが役目であり、いちいち平伏していては、その間に不審な者が紛れ込む恐れが多く、いちいちする必要はないし、職務に外れたことはさせてはならないとする。大名にしろ旗本にしろ、それぞれ縁組することで自分の立場をよくし、家を強固なものにできるから、親類というのは実に広範囲にわたる。たとえば、切腹を命じられた播州赤穂の浅野内匠頭長矩(ながのり)は、いとこの戸田采女正(うねめのしょう)が大垣城主、またいとこの戸田弾正忠(だんじょうのすけ)が大垣支藩の藩主、夫人の生家の浅野土佐守が三次(みよし)城主、前城主が浅野式部少輔(しきぶしょうゆう)、旗本寄合衆として浅野美濃守と浅野左兵衛、旗本として内藤伊織・安部丹波守・安部小十郎がいた。それぞれに家を構えて家臣、家来がいる。また、浅野の本家が芸州広島の松平安芸守で、これを頂点として無数の家と縁続きとなっている。こうなると、親類というのは門を通過する者の大半となり、門番は終始這いつくばっていなければならなくなる。
[解説]『政談』最後の巻。しきたりや制度についての得失を明らかにし、改革すべきことはどう改革すべきかを提言して、政治のあるべき姿を明らかにする。巻三を個別具体的に述べる。
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