政談289

【荻生徂徠『政談』】289

(承前) 昔、板倉周防守(すおうのかみ)が下向した時、松平伊豆守が申したことには、「上様にはますます御政務に御心を尽くされておられる。上方(かみがた)の事も詳しく知りたいとの思召しゆえ、今後は仲間へ出される書状には、念を入れて、上方の事を上様のお耳にも入るようにされたい」と。周防守が答えて「百二十里離れた遠い地のことゆえ、上様がどれほど熱心になされようとも、書状程度ではとても現地の事情を知り尽くすことはできぬ。そのため、それがしを差し向けられたのだから、これにて充分でござる」と言った。「さては、周防守は身を踏み込んで勤める者である」と大変感じ入ったということである。それから、書状には毎回上様のご機嫌を伺い、「堂上方(とうしょうがた)にはお変わりなし」とだけ記し、「恐惶謹言」で結び、どんな事も知らせなかったと聞いている。せめて今の世にも、大役の人は周防守の半分の器量もあれば、世間の人にも影響してよい風潮が広まることと思われる。


[語釈]●板倉周防守 板倉重宗(1586-1656)。父の重勝の後を受けて京都所司代。下総(しもうさ)関宿(せきやど)城主5万石。2代将軍秀忠の側近として幕政の中枢に参与。名行政官とうたわれる。


 

●松平伊豆守 松平信綱(1596-1662)。代官大河内久綱の長男。家康の側近で叔父の松平正綱の養子となる。家光が生まれると小姓として召され、以後、腹心として活躍。寛永10年、老中となり、正保4年、川越城主75000石となった。家光の死後は元老として4代家綱を補佐。機略・策謀に富み、智恵伊豆の異名で呼ばれた。幕藩体制の確立に貢献した。


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