政談283

【荻生徂徠『政談』】283

(承前) 御老中・若年寄が衷心から人を見出だすことを御奉公の第一と理解し、あまり指図をしたり統制することをせず、気さくに話しかけて人を使い、少々の不調法を咎めず、功績があれば賞し、昇進できるよう取り計らってやるならば、器量ある人はいくらでも得られる。諸役人に器量ある人が揃えば、御政務は(上様の)思い通りになることだろう。これとは反対に、上から一方的に指図をするばかりでは、器量ある人は次第に消えてしまうことになる。


[解説]よい人物を見出すことと、よい人物を選ぶこととは違う。人事はとても難しく、だから透明性があり客観性のある考査(昇進試験)に頼ってしまうが、テストはそれが得意な人とそうでない人がいる。それに、テストだと「これに落ちたら」と委縮してしまう人がおり、この時点で実力が発揮されずに終わる。人物を見出すのは一時の試験でわかるものではない。そのため、日ごろから上司としてその人を見ている人が一番よく理解しているはずだし、人事のことは人事担当任せというのは、下を理解しようとしない態度の表われである。すでに組織に属している以上、その人たちを伸ばし、埋もれている価値を見出してやることが生産性の向上にもつながる。こんなことはわざわざ言わずとも重職者なら分かっていることだが、昨今は労働者を人と思わず、ことさら待遇を悪くして、「嫌なら辞めればいい。代わりはいくらでもいる」と高慢な態度をとる経営者が増えている。また、それを称賛する同業者や議員などがいる。昔なら、こんな経営者は総スカンを食ったものだが、なにしろ今は政権が待遇の悪化を制度によって認め支援するほどだから、高慢な経営者の鼻息はますます荒くなる。しかも、自分では合理的経営をしているようにうそぶくが、よく見れば精神主義と旧軍式教育・序列主義で、自分が絶対的君主になりたいだけ。サル山のボスでしかない。たまたま今、そういうボスの会社が成長していても、それが長く続く保証はない。なにしろ人を大切にしないのだから、恨む人ばかり増やすことになる。もっとも、こういう経営者は、短期間に小金を獲得したら次に進み、興した会社はさっさと始末する(要するに飽きっぽい)手合いが多いから、今さえよければそれで良い、ということなのだろう。一度経営者となると、それが履歴となって、どこぞの会社に役員として迎え入れられ、名ばかりで大金を得る。人脈が構築された所で政界進出。今、こういう議員が増えている。学生時代に起業し、卒業して数年で大手企業や外資系の役員となり、数年で与党や与党系野党から比例で出馬する。国会議員の秘書の経験もないから、政界のことを知らず、人に頭を下げることもないまま、「先生」の立場となる。先輩議員や閣僚からは「キミはそのままでいい」と言われ、これを「なにをやってもいい」と勘違いして、ますます増長する。党自体に立派な人を見出し、育てようという気概がない。なにしろ「最高責任者」にそういう気がなく、人に対する情がないのだから。

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