政談277

【荻生徂徠『政談』】277

(承前) 御老中・番頭以上の人は、よい人物を見出だすことを自分の職務の第一と心得て、昼夜に亘りよい人物がいないか、常に心掛けるべきである。殷(いん)の高宗は常に賢人が欲しいと思っていたが、ある日、夢の中で傅説(ふえつ)を見るということがあった。上たる人が心からよい人物が欲しいと願えば、必ずそういう人は得られるものである。これは真の感通、天道の冥助(みょうじょ)というもので、必ず起こることである。ゆめゆめ疑ってはならない。良い人を得たいという気持ちがないと、よい人は現れない。良い人を得たいという気持ちがない人は、学問がなく、下情に疎く、生まれながら身分や地位が高いことから、知らず知らず自分の才智を自慢する心が起こり、自分の気に入った人ばかりを求め、何事も自分の思い通りにしてしまうために、心からよい人物が欲しいという気持ちが起こらないのである。


[語釈]●殷の高宗 名は武丁(ぶてい)。殷の中高の祖。 ●傅説 高宗に仕えた宰相。高宗が夢に現れた聖人を描かせて百官に探し求めさせたところ、傅巖(ふがん)という所で囚人らとともに道路工事をしていた説(えつ)を発見、さっそく高宗に引き合わせて宰相とし、傅の姓を名乗らせた。


[解説]勝海舟は徂徠同様、人材登用は身分や家柄に関係なく求め、よい人物はどんどん抜擢すべきという考えだった。徂徠の主張の影響があったのか、それともあくまで自分の考えでそのように思うように至ったのか定かではないが、身分や家柄がその属性の人に良くも悪くも影響するものの、その属性だから立派な人物であるということにはならない。むしろ、世襲に安住して傲慢となり、下情を知ろうともせず、自分は上位であり、偉いのだとうぬぼれるようになる。賄賂政治のイメージをことさら喧伝されて、まるで悪い政治家の代表のようにまでされている田沼意次(たぬまおきつぐ)。田沼なぞは身分や家柄主義で、身内や仲間で固めるように思われるが、さにあらず。田沼もまた武士や百姓、町人といった身分に関係なく、人物本位、実力により採用、抜擢した。実は、このやり方が守旧派たる保守派の反発を招き、田沼が失脚すると、賄賂による悪徳政治家という汚名が喧伝された。近年の研究により、田沼は封建主義社会に大胆な経済政策を採り入れた解明派の政治家として評価が高くなっている。徂徠もまた死後に「身分制度そのものを否定する危険人物」とうたわれ、徂徠一派は異端視されてしまった。人は保身、安泰の境遇を求めるもので、実力による評価、抜擢では多くの者ははじかれてしまう。全員を競争させれば、なおさら限られた者しか出世しない。徂徠や田沼は決して現代のような競争による人材の選別・登用を主張したわけではなく、「聖人の道」を行う者、つまり徳があり情があり、さらに知識と教養がある者がいれば採用すべきことを言ったので、試験により篩い落とすといったことはむしろ試験に巧みな者が受かり、立派な人物を取りこぼしてしまう恐れがあるとして否定した。あくまでも上の者が人を見る目を持ち、自分と思想や性格が合わない者でも採用するといった器量の大きさが必要であると説いた。器量の小さい為政者ほど閣僚や側近らを仲間で固めてしまう。官僚は形式的に試験はするものの、地位が上がるにつれて人物評価が占める割合が増え、その評価も主観的となり、上に気に入られる者が採用される。結果、次官のほとんどが為政者に対して服従し、誤りがあっても指摘も批判もしない。器量の大きな為政者なら、そういうおべっか使いの官僚を退け、諫言を厭わない者を喜ぶが、古来、そういう大人物は少なく、側近がむしろ「そのようなやり方はよろしくない」として型にはめようとする。『貞観政要』(じょうがんせいよう)といった立派な政治家の言行録が為政者たちに好まれたものの、それを実践した者は少ない。それを読んで、自分も立派になったつもり。

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