1908年7月14日
1908年7月14日 明治41
桂太郎が13代内閣総理大臣に就任し、第2次桂太郎内閣が発足(1911年(明治44年)8月30日まで)
第2次桂内閣は、1908年7月12日に大命降下を受けた桂が、首相と大蔵大臣を兼務して発足する。戊申詔書による風紀引き締めと同時に社会主義運動を弾圧、大逆事件(幸徳事件)の摘発や南北朝正閏問題への介入、出版物の取締強化を行った。また、徹底した緊縮財政とともに地方改良運動を起こして地方の立て直しを図った。外交面では韓国併合を実現し、関税自主権の回復による条約改正の終了などが日本の国際的地位向上に尽くした。大逆事件に対する責任追及が上がると、立憲政友会との「情意投合」を宣言して、秘かに西園寺公望への再度の政権譲渡を約束した。条約改正の終了を機に西園寺への政権譲渡を決断し、内閣総辞職した。
[第2次桂太郎内閣]
総理 桂太郎(公爵・陸軍大将)
外務 寺内正毅(臨時兼任)(伯爵・陸軍大将)1908年8月27日 - 1911年8月30日 小村壽太郎(侯爵)
内務 平田東助(子爵)
大蔵 桂太郎(兼任)
陸軍 寺内正毅
海軍 齋藤實(男爵・海軍中将)
司法 岡部長職(子爵)
文部 小松原英太郎
農商務 大浦兼武(子爵)
逓信 後藤新平(男爵)
内閣書記官長 柴田家門
法制局長官 安廣伴一郎
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